【通知票から辿るぱっちょの自己紹介】

どうも、ぱっちょです。

さて、皆様は通知票というものをご存じだろうか。

学校に行っていると、もれなく引っ付いてくるあれです。

「明日から夏休みだーわーい」
と、ウキウキしている気分を一瞬にして奈落の底に突き落とす、あれです。
先生から受け取って、通知票の中をチラ見して、ダメそうだったらホッチキスで閉じてやりたくなる、あれです。

先日、この「通知票」が、見つかったんですよ。
探そうとして探しているものではなかったのですが、見つかってしまったんです。
小学校~高校生までのものが。

その通知票は色褪せており、相当昔のものであることが分かります。

この「通知票」と呼ばれていたものって、現在はどのような名称になっているのでしょうか。
近年ある自治体では、成長ノートというような名称に変わっているとか、評価の項目が変更になっているとかの話も聞いたことがあります。

今ではすっかりジジイとなった私ぱっちょは、どんな人間だったのか。
そして、今どんな人間になっているのか。
この、「通知票」は当時の先生方の所見が丁寧に書かれているものである為、自分がどんな人間であるかを客観視出来る、とてもとても貴重なものではないでしょうか。

就職活動などで、
「あなたはどんな人間かを説明してください」
など、ちょっと困った質問を面接官からされたとて、この「通知票」にある先生の言葉を引用すればバッチリ。
注意点としては、時に

ものすげー自分の短所

が書かれている為、そこはそのまま答えてしまってはいけません。

今回は、この通知票を参照しながら、ぱっちょの自己紹介をしていきたいと思います。

まだ穢れを知らぬ頃のぱっちょ
目次

小学生のぱっちょの通知票

まず、通知票の表紙を見てみましょう。
そこには「保護者のかたがたへ」という記載があります。
それは、

〇この通知票は、学校における子どもの状況をお知らせするものです。
〇家庭での状況と、学校での状況を比べてみてください。
〇学習の状況については、1・2年生は3段階、3学年以上は5段階で評定しております。
〇行動や性格の状況については〇印は良い、△印は努力させたいという印です。
〇ごらんの上、捺印してください。

(とある小学校の通知票より)

と、表記されていました。
この頃、「△印」がついていたりすると、

家でボコボコにされる

基、家でとてつもなく怒られるという超恐怖感があり、
また、そこに学習の状況で1や2の評定が重なると、

家でボコボコにされた上に、パンツ一丁で外に放り出される

という、超ド級ウルトラスーパー恐怖のダブルコンボが待っていました。

まあ、この時代の家庭というのは、このような事は普通だったのかも知れません。
ウチ以外では聞いたことがないけど、そんなものでしょう。

っていうか、「△は努力させたい」とか、時代を感じる表現ではないでしょうか。

そういう訳で、常に緊張感にさらされながら生きてきた私に対する、先生方の所見を見ていきましょう。

まずは、小学3年生の頃。

どうでしょうか。

せんせい

几帳面な生活態度で、
弱い立場の友達をかばってあげたり、
心のやさしい面もみられます

さらに、

せんせい

問題に対し、熱心に考え、
きまりをやぶる人を注意したり、
けんかを止めに入ったり、弱い立場の側に立ったり、
自分の意志でよく行動出来ます

おお、これは良いのではないか!?
小学3年生にして、規則をしっかりと守り、弱いものいじめを見過ごさなかったのだ!
この頃、既に私には正義の心がパイルダーON(←アニメネタにて注)されていたのだ!!

一方、「学習の状況」には

「2」

が付いていたものがあった。

3年生までは3段階評価なので、「2」は今考えれば普通だったと思うのだが、
通知票の大枠の括りでは
「よくできる」が2段階
「ふつうにできる」が1段階
「がんばろう」が2段階
そういう評価となっていた。

その為、この「学習の状況」の評価は実質5段階となっており、
「2」というのはもうリーチがかかっている状況でもあるのだ。
それは、家ではボコボコにされ放り出される事を意味していた。

すごいじゃあないですか。
通知票の脅威というものは、この辺に潜んでいるのだ…!

次に、小学4年生時の先生の所見を見てみよう。

せんせい

素直な心を持ったやさしい男の子です。
気持ちが優しく、友達に強く言われると涙ぐみ
沈み込んでしまうことがありました

どうですかこれは。
そう、ボクは優しいんですよ。きっと。

しかし、「優しいだけでは生きていけないよ」という、何となく先生の励ましを感じた言葉でもありました。

そして、「友達に強く言われると涙ぐみ沈み込んでしまうことがありました」とのこの一文。

この部分は、私が「いじめ」にあっているという事を、間接的に表現している部分であったと感じます。
まあ、それはそれは結構なイジメ方をされていましてですね、先生は知っていたのです。
イジメにあってますよ、アンタんちの子
とか、書けませんよね、先生。

どんなイジメを喰らってきたかを述べると長くなるので、その詳細はまた別にします。
とりあえず、素直な心を持ったやさしい男の子だった(←過去形につき註)らしいので。

まあ、学習状況の「2」を許さないボクの家庭には、そんな先生のメッセージも限りなく届きませんでな。

また、

せんせい

どの教科にもまじめに取り組み、理科の実験では班のリーダーになって進めていました。作業が早いのは良い事ですが、課題が終わってしまうと私語に夢中になり、話を聞き逃してしまう事がありました


私は、どうやら自分のやることが終わると、自分勝手になってしまっていたようだ。
もちろん、この先生はこの辺も指導してくれました。

ですが、少し言い訳をさせてもらうとですね、
イジメって、裏で行われるから、実態を把握しにくいんですよ。昔も今も。
で、私はイジメっ子への仕返しにと、表で実態を示そうとしていたのです。
それを、「私語」という表現に先生は置き換えてくれていたのでしょう。
が、こうしたイジメを考えなしに表に出そうとすると、いずれ「世渡りが下手」などと他者から評価されてしまうので気を付けましょう!

そして、気になる「学習の状況」でありますが、
「4年生から5段階評定になる」
という、通知票に記載されている通りにですね、

「ボクには、もう2が付く事は許されない」

という、如何ともし難い状況に追い込まれていました。

この時、「2」評定の科目は図工。
そして、許されはしませんでした。

父ちゃん情けなくて涙がでてくらあ

と、かの有名なセリフと共に家庭内でボコボコという構図が成り立つのです。

では、小学5年生の先生の所見を見ていきましょう。

せんせい

予習、復習をしてくるので学習も発表が多く、自信をもってやっているようです
反面、休み時間に調子にのってしまい大声を出したりすることがありました。二学期には気をつけましょう

いやあ。
正義の心、パイルダーがどこかに行ってしまったか?

担任の先生が異動で変わったのもあるが、とある先生から聞いた話によれば、この方は地域で最も厳しい先生なのだとか。
何というか、インパクトがあり、かつ卒ない所見。インパクトがないようであり、かつ卒ない所見。
そんな感じか?
とにかく、何かがあって何かがない。
訳が分からないが、それしか言いようがないのですよ。

調子にのって大声出しているんじゃなくて、イジメっ子に大声出して対抗していただけなの!
授業中にしかイジメっ子と対等に渡り合うことが出来ないから、何が何でも発表していたの!
休み時間は先生の目が届かない裏の出来事だから、イジメにそうやって立ち向かっていたの!

そうしたことは余所に、
こんな事が記されているとですね、もうボクは大変ですよ。
家で超ド級ウルトラスーパーコンボに加え、更に追加コンボである

「放り出されてから家に入れられた後の数時間に及ぶ説教」という、
とても恐ろしいトリプルコンボが待ち構えていたのです。

何という事だ。
厳しい先生に加え、正義の心、優しさだけが取り柄だったボクのパイルダーがどっかに行ってしまったようだぞ、この頃に。

なので、益々色々諸々と考えなければならなくなってしまい、諸々色々益々テンパってしまったとさ。

そんな様々な地獄を抱え、6年生になった時にも担任は変わらないと知った時、もう終わりを越えた最終を見た気分でした。

そして、小学6年生一学期の通知票の、先生の所見。

せんせい

・どの教科もある程度まではよくがんばりますが、もう一歩というところまでのねばりがないようです。そのねばりが出るとさらによくなります
・いつも身なりはきちんとしていて、言葉づかいもわきまえています。

昨年よりは、何となく評価が上がったような文面だと思います。
箇条書きに変えてるしね。
っていうか、ねばりって何なの?
あと一歩って、何なの?

(これが、後に私の必殺技となる「最後の力の一歩手前」を生み出すことになりました)

そして、色々ありながら小学校を卒業し、中学校に行きましたよ。

そんなことであまり勉強に集中しなかった頃の、中学校1年生の通知票を見てみましょう。

中学校のぱっちょの通知票

まず、一学期の先生の所見から見てみよう。

せんせい

おとなしく、極めてまじめな性格である一方、ファイトがあり負けず嫌いなところがあります。
人の立場に立って考える心のゆとりを身につければ素晴らしいと思います


中学校では、教科の評定が10段階評定となりましてですね、9科目中、「評定4」が7科目もありました。
何でかって?ボクにも分からないなあ。
多分、授業でもノート取らなかったし、先生の話も聞いてなかったし、勉強もしなかったからだろうね。
これが、極めてまじめに勉強をせず、家でボコボコにされても負けず嫌いである性格なのです。

そして、二学期。

せんせい

生活面では、ふざけている事が多く、もう少し係の仕事にも真剣に取り組んでほしいと思います

どっひへええええええ

なんてひどいことを書くんですか、先生!!
ついこの間まで、「極めてまじめな性格」って、書いていたじゃあないですか!!
こんなこと、親に知られたらどうなるか分かってるんすかあ!?
ふざけているのは先生、アナタの方なんじゃあないかね!?

しかも、9科目中「評定4」が7科目、ついでに「評定3」が1科目増えていた。

ちなみに、「評定10」が最高で「評定1」が最低である。
ただ一つ、「評定8」の科目があった。いっこだけ。

国語・社会・数学・理科・音楽・美術・保体・技家・英語。
この9科目の中で、評定4と3で計8科目。
ここまで来ると、「いっこだけの評定8」など、霞んでしまうぞ。
それどころか、気付きさえしない!
「8」に存在感なし!
無いものと同様だ!!

さらなる追撃として、「行動及び性格」という評定欄があり、「服装が適切である」とか、「友達と仲良くする」とか、なんだかゴチャゴチャと18項目もあって、良いものには「+」、ダメなものには「-」と印をつけてくれる訳だが、

この時の私の通知票には「-」が4つあった。
かろうじて「+」がひとつだけありましたがね。

補足として、通知票の説明によれば、
「+」は優れています、「-」は努力を要します、と書かれていた。

ぶっちゃけ言うとですね、

もうダメな子だよコイツ

って、先生は直接ボクには言わないだけなんだなあ、けど先生は言いたいんだろうなあ、と、感じてました。
だから、所見があんな事になっているんですな。

そしてとどめとして、通知票とは別に、中間テスト・期末テストの点数並びに学年順位を示した

「成績順位表」←確か、こんな名前のやつだったと思います

という、恐ろしいファイナルウェポンまでもが通知票とタッグを組んでくるのが中学校でした。

ちなみに、テストで私は12点だとか、
8点だとか、
0点も取っていたことがありました。
100点満点中ね。

今思うと、0点取るって結構難しいんだよね。
名前を書き忘れると0点になるとか、
白紙で出すと0点になるとか、
0点になる条件って、最初に先生が説明してくれるんですよね。

しかし、私は名前も書き、答案用紙に解答しているにも関わらず、0点を取得する才能があったようでした。
未来からネコ型ロボットが現れてくれないかなあ、と、真剣に考えていましたね。

気になるテストの順位はというと、例えば学年全体が300人いたとしたらですね、
私は、「298番」くらいでした。

「あ、あと二人後ろにいるじゃん(‘ω’)」
とか、思ったことはありませんでしたよ。

潔くビリにでもなれば、親も呆れて何も言えなくなるのでしょうが、

ビリにもなれない
ブービー賞でもない
そして、行動及び性格もダメな子評価

もう、フォローのしようがない中途半端なポンコツ人間としての私が、始まっていたのでした。

そして、三学期。

せんせい

(もう何も言えねえ…)

はい、二学期の通知票よりも、最悪のものは出来なかったようで、先生のコメントも、他の評定も、変わりはなかったです。

家に帰っても、もう両親から口をきいてもらえなくなりましたねぇ。
父ちゃんは情けなさ過ぎて涙も枯れ果てたらしいです。問答無用でド突かれることが増えていた気がします。

そんなことで、次は中学二年時の通知票を見てみましょう。
担任の先生が変わったので、

少しだけ評定も良くなるだろう
(↑自分の勝手な期待)

と、考えていました。

とりあえず、1年生の最悪状態をキープしていたので、良くはならなくても「変わりもしなければいいや」と、のん気に過ごしていたところ、ソイツは突然やってきました。

教科の評定に、ポツリと存在感を放っている「2」が。

………
……

えーと、なんですかね、これは。
ちょっと、良く見直したり、考えてみよう。

9科目のうち、評定「8」がひとつ。
評定「4」が五つ。
評定「3」が二つ。
評定「2」が、ひとつ。

ひとつ+五つ+二つ+ひとつ=9

9科目だから、合計9で合ってるよね。


ちょっと、良く見直したり、考えてみたりしても、
何も変わりませんでした。

うぎゃあああああああああああおああAhう
なんどぅえすかこれぇえええええええええ
ちょっと奥さんたら聞いてよ、嫌だわあこれ

先生、ボクに何か恨みでもあるんですか!?
何か悪いことしたから、評定下げたんすか!?
ボクが何をしたってんですか!?

ちなみに、「2」の評定の説明は、

『劣っています』

と書かれていた。
容赦ねえな…

そして、

せんせい

明るい性格で誰とでも分け隔てなく接しています

しかも、先生のこのコメントも、良くわかりませんぜ!
何言ってんすか、このおやっさん!
もう言語すら理解不能なんですボクは!

まずい。とにかくまずい。
このまま家に帰ったら、多分56されてしまうという恐怖の中で、家に帰ったらやっぱり命の灯が消えかけてしまうくらいの惨状になりました。

そして、二学期の通知票を見てみましょう。

せんせい

今学期の成績はめざましい向上を遂げ、すばらしいと思います。これは意欲的に取り組んだ成果だと思います。これに甘んじることなくさらに向上心を持って頑張ってほしいと思います


いやあ、先生。一学期の人と、同一人物ですか?
ちゃんとしたコメント、書けるじゃないですか。
バカじゃなかったんですね、先生。

そして、気になる教科の評定ですが、
「5」が三つ
「7」が五つ
「8」がひとつ
に、なっていました。

うーん、ボクも一学期と同一人物なのかねぇ。
「3」評定とか、「2」評定とか、あれ何でしたかねぇ。
まあ、それだけ成績悪かったから、色々あったんだよねぇ。

また、気になるハッピーセットであるファイナルウェポンの成績順位表ですが、
「82/300」
になっていました。
一学期までは、安定の298番目でしたけれどね。

0点とか8点とか12点?何でしたっけ、それ。
そんな過去など

光●力ビーィィィィィム!!(偽)

で、どっかに吹き飛んでしまったようですよ。

そして、三学期も大して変わらずであったため省略します。
3年生の通知票は見当たらないために評定の確認は出来ませんが、ちょっとだけ成績が上がっていたのを憶えています。
高校への進学が決まり、こうしてぱっちょの中学校生活が終了しました。

高校生のぱっちょの通知表

ここからは、高校生時代の通知票を見ていきましょう。

高校になってから、「通知票」ではなく「成績通知表」と、その表記が変わっていました。

変わったのは表記だけではなく、その中身も。

教科、順位全てが数字のみとなっており、先生の所見などはありません。
そう、数字こそが結果であり、それが全てなのです。
大人の階段を昇り始める時が、とうとうやって来たのですよ。

今までの先生の所見にあたるものは、この頃は三者面談という形で親に伝えられていました。

そんな訳で、とりあえず色々と点数を見ていきたいと思いますが、全ての教科を記すとものすごい量となってしまうため、学年順位だけ見ていきましょう。

【高校1年時のぱっちょ】
一学期:65/463
二学期:170/467
三学期:70/469
註:表記は『個人/全体』となっております

ふむふむ。二学期の成績が467人中170番目と落ちてますね。

これは、きちんとした理由があったんですよ。
ちょっと、あることで悩んでいたんです。
ボクだって男の子ですもの、クスン…

そんなある日、担任の先生が廊下ですれ違った時に、声をかけてくれました。
成績が下がったことや私の様子を心配してくれていて、授業をしていない空いている教室を使って、私の話を聞いてくれました。

そこで、先生に悩みを打ち明けました。
すると、先生は

せんせい

俺は、お前のように悩みを話せる人間が好きだ。悩みっていうのは弱い面でもあるし、それを打ち明けるっていうのは、とても勇気がいることだからな。お前にはその強さがある。だから、自信を持て

いやあ、先生のこの言葉、今でも忘れませんよ。

正直なところ、こういったことを聞いてくれたり、言ってくれる先生って居ないと思ってました。しかもサシで。
思えば、今まで殆どが「通知票」という文面でのやり取りでしか教師像というのが分からなかったし、勉強以外の話なんて聞いてくれるとは思っていませんでした。

この先生の言葉で吹っ切れて、三学期には成績が戻ったのでした。

次に、2年生の成績を見ていきましょう。

【高校2年生時のぱっちょ】
一学期:43/460
二学期:33/462
三学期:28/465

ふむふむ。結構良いんじゃあないですか?
しかし、この頃学業に別の問題が起こりましてですね、

数学の諸々

それの成績がみるみるうちに下がってきていたのですよ。
一生懸命勉強しても、全然分からない。
公式も分からないし、問題も解けない。

中間・期末テストでは、数学が赤点ギリギリなんてこともありました。

そんな訳で、
「数学は諦めて、他の科目で得点を稼いで平均点の底上げをする」
という方式にしました。

国・社・数・理・体・芸・英


これ全体の平均点が順位になるので、数学以外に力を入れるという作戦ですよ。
その結果、この成績だったのでよろしいんじゃあないでしょうか?

数学の授業でも寝るってことはなかったし。
つまらない授業って、眠たくなっちゃいますよね、ね、ね!
先生だって、下らない会議してたら寝ちゃうでしょ?

ついでに、この時の担任が数学教師でした。
担任の授業の時には、寝るってことはしませんでしたが、こっそりと完全に眠っていたことはありました。

担任の先生は絶対に分かっていたのでしょうけれど、

せんせい

おい、疲れてるんじゃないか?


と私に声をかけるだけで、決して叱ることはしませんでした。
ちょっぴりターMiネィターに似ていた先生の、ほんのりとした優しさが身に沁みました。

そして最後、3年生の成績。

【高校3年生時のぱっちょ】
一学期:65/367
二学期:47/368
三学期:27/369

一学期に成績が下がってますね。
これは、先の通り苦手な数学諸々で確率統計が登場し、それが私にはべらぼうに難しかったことと、
3年生から理科が選択制になり、数学がヤバいのに物理を選択してしまったこと、が響いてました。
理科って、他に化学・生物・地学があったのに、何故か物理を選択してしまったのですよ。

しかも、全体学年数が100人くらい減っています。
これについては、3年生になると文系と理系でクラスが分かれるために起こる現象で、理系の人数、100人くらいが引かれている訳です。私は文系選択でした。

なので、二年生の時と同じように「点数がとれない物理も捨てる」という方法をとったのですが、
社会に世界史と政治経済だとか、
英語はⅡBとⅡCへ増え、
国語にも現代文に加え古文やら漢文が入り乱れ、果てには母国語さえも訳が分からなくなるという、
やらなくてはならないことが増えてしまったのです!

しかも、ほとんどの生徒が塾通いしているというアドバンテージ!

こうなると、他の科目で稼いで平均点を底上げするという戦法も限界まで来てしまい、
それが如実に表れてしまいました。

しかし、この時成績が下がったのは、これのせいではありませんでした。
他に原因があったのです。

イジメというのはですね、生徒が生徒に対して行うものだけではなく、先生が生徒に対して行ってくるものもあるのです。
私は、あるクソ先生から陰湿なイジメに遭っていました。
これが大きな原因でした。

うーん、もう三桁台まで順位が落ちるか…

そう思っていたところ、その事件を見ていた、とある先生からの一言。

せんせい

あの先生がズルいのは知ってる。あなたを信じてる

おおぅ!
マジすか、先生!

この先生は担任ではありませんでしたが、知っていたのです。クソ先生のしている事を。
ついでに言っておくと、この時のクラス担任もクソ先生の子分みたいになっていて、どうしようもないゴミ野郎でした。

え?担任への言い方がひどい?

しょうがないじゃない。どうしようもないゴミカス担任でしたから。
これ以上言い直しても、もっとひどくなると思うのでこの辺で留めておきます。
超ドグサレ野郎でした。

イジメは教師も平気で行ってくるんだよ!
という、現代も問題となっていることですが、ここで細かく述べるのは控えたいと思います。
この時、教育委員会も巻き込んで、お決まりの隠ぺいで事なきを得るという形で落ち着きましたとさ。

しかし、このおかげで私に正義の心が再びパイルダーONされたようでした。

こうしたことで、夏休みに自己流の特訓を行い、
その成果が、二学期に出てきたといったところでしょう。
それに加え、この「事件を知っている先生」の存在も、私に影響していたことは間違いなかったのです。

そして、三学期には高校生活の中で、私にとっては最高の成績を修める事が出来ました。

こうして、私の高校生活は幕を閉じることとなったのです。

まとめ


以上が、小・中・高のぱっちょでした。

こうして振り返ってみると、先生って生徒をしっかりと見ていてくれていたと思います。

今の僕から先生方にお返しできる言葉としては、

ぱっちょ

先生に教えてもらったことは勉強だけではありませんでした。人間として、本当に大切なことを学びました

ということです。

小学生の時の、Y・T先生、
貴女は私が小学校を卒業する時、春休みに一日空けてピクニックに連れて行ってくれましたね。
もの凄い厳しい貴女から、そんな話を受けたことが超ビックリでした。
私の親に、なぜそうしたいのかの説明までしてくれましたね、堂々と。先生の愛車であるギャ〇ンΣが当時カッコよすぎて、それに乗れたことに感動しましたよ。
現代では、先生が生徒にこんな事すると問題になるでしょうけれど…

途中、道に迷った時も

せんせい

大丈夫。いざとなったら口があるのよ。誰かに道を尋ねればいいの

と、最後に先生が教えてくれたましたね。
当たり前のことこそ、気づきにくい。だから、丁寧に物事を考えなさい…そんな事を教えてくれました。

中学校の時の、K・T先生、
貴方は私にある才能を見出してくれて、その為には他の授業などすっぽかせと話してくれましたね。先生が放課後に、こっそりと視聴覚室の扉をブン殴っていたのを私が目撃してしまった時、少々気まずかったのを忘れませんよ。

高校の時の、Z・H先生、
貴方の言葉が、迷いを吹き飛ばしてくれました。担任を外れる最後に、「杜子春」の話をしてくれましたね。
その前に、こっそりと何かのレンタルビデオとか見ちゃったんだけどなあ、とか言いながら。

同じく高校の、K・S先生、
厳格な先生であり、感情がないように見える貴方はマジのサツ戮マシーンなのかと思いましたよ。
最初は僕と凄く険悪ムードでしたが、三者面談の後から良い意味でターミNeーターっぽくなりましたね。
オマエの交友関係が気になるだとか、オマエの友人は大丈夫なのだろうかとか、オマエはどうなんだとか、凄く不器用にチマチマこっそりと聞いてきてくれてましたね。貴方のようなジジイになりたいなあと思いました。

また、同じく高校の時のI・S先生、
クソ先生やゴミ担任に対して一緒に闘ってくれて、退学寸前にまで追い込まれた私のピンチを救ってくれました。
私が何か悪いことをやっているだとか、あらぬ噂をたてられ色々と責められていた時も、

せんせい

ぱっちょがそんな事するわけないでしょ。その話の出処はどこ?

と、色々とその時その時に矢面に立ち、堂々と庇ってくれました。
卒業した後も、お手紙を下さったりと本当にお世話になりました。

……

まだまだ感謝する先生はおりますので、「アタシの事なんでのっけてねーんだよっ」という先生方は、少しお待ちいただければ幸いです。多分、憶えてます。多分。

で、こうした先生たちのおかげで、今の私が存在するのだとしみじみと感じます。

教師の枠を越えて生徒の事を考えてくれる先生というのは、いつの時代になっても居るのでしょう。

今では教師としての一線を越えたような助言や振る舞いなど、生徒へのアプローチが問題視されたりしますが、こうした事が全て悪いとは思いません。
私が正しく育った生徒なのかどうかは分かりませんが、「良い先生に巡り会えた」というのは今でも思っておりますし、そうしたことは生徒が一番分かっていて、心に残っているのではないでしょうか。

時には昔の事を振り返るのも良いのかもしれません。

振り返りたくない過去しかない

私ですが…

それでも、「振り返ってみる」というのは、今を立ち止まらずに、少しでも前進できる一歩になるのかも知れないと思います。

…と、思いがけずにノスタルジーに浸ってしまったぜぃ。

以上、今回は通知票を参照しながらのぱっちょの自己紹介でした。

そして、次の旅物語でお会いしましょう。

では、また!

====おまけ====
100点の成績表

誰も信じてくれなかった


こんな感じです。

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